伝統工芸、藍に触れる職人の世界vol.2

伝統工芸、藍に触れる職人の世界vol.2

vol.1の続きになりますが、前回では浜さんが、たまたまNHK長野の放送に出た僕を見てこの人に会えば鹿革を染められるのかも?と思っていた所に僕の方から浜さんのに連絡をするという奇跡的な出会いまででした。

僕は藍染をすることで、この鹿革の付加価値を上げたいと思い、数ある藍染工房の中から歴史ある「浜染工房」にビビッと来てアポを取ったわけです。

話を進める前に浜染工房について少しだけ触れさせてください。

浜染工房は明治44年創業
松本市の逢初町にある染工房です。
松本城のすぐ近くという土地柄もあり創業当時は100件以上の藍染職人がいる町だったそうです。それが今では残り一件!
これは守るべき歴史的な工房です。

昭和7年に銀座資生堂ギャラリーで第一回の「草木染織展」が行われ、その発起人の島崎藤村、名簿には有島生馬、富本憲吉、竹下夢二、水谷川忠磨、中村柊花など当時一流の文化人が名を連ねています。その中に浜染工房の「初代 濱 茂人」さんの名前が記されたものがあるほど歴史が深い。

これを見る限りでもかなり草木染め界においても初代の方は相当な有名人ですが、話を聞いていると書物にも記されていないあれこれもあり、職人気質な方だったんだなぁと思います。

浜さんにジビエレザーに藍染を施してもらおうと決めた時には明治44年の情報はありましたが、ここまで草木染め界に影響を与えた1人だとは思いもせず‥恐縮です!

(株)メルセンを交えた製作

2022年の7月に浜さんに会いに行き、実際に進めて行くためには革の専門家の力が必要だと思っていました。
メルセンの中川専務には事前に浜さんの事も話しており、経過などは常に話、相談を繰り返しておりました。

まずは素材がないと話にならない為、クロムなめしとタンニンなめしの生地を中川専務に送ってもらい、翌月の9月に浜さんのところに持って行きました。
その日は藍染に少しでも触れてみたいとTシャツの藍染体験教室をしました!が、そのことはまた別のところで紹介しようかと思います。

浜さんの仕事の合間で染めてもらう為、月日は流れて12月
いよいよ染め上がったとの連絡を受け、この日は(株)メルセンの中川専務にもきてもらう事に

ここで僕は初めて浜さんの反物を染める壺染めをみる事に!

この壺は先代が作った物を浜さんがさらに嵩上げして深くしたもの。
写真では深さがわかりませんが浜さんが落ちると完全に沈んじゃう笑
1.8メートル近く地中に埋めて作ってあるらしいのです!
これが心臓部の本藍壺染め!!

写真で4つある壺の真ん中の小さな穴があるのですが、ここから中に見えるのは壷を温めるための灰が赤く燃えています。
藍を一定の温度を保つために寒くなると一日2回、このツボの温度を確かめないといけません!その為に冬はどこにも出かける事ができなく、息子さんの結婚式も出れなかった様です。

夏もあまり熱が上がりすぎると腐ってしまう為夏は夏で困る事が多く、近年は温暖化により様々な弊害が出てきています。
しかしここに来るたびに歴史に触れている感じがあり、忘れている昭和な感覚、それよりも昔の感覚なんでしょうかね

この日確認できたのが無地の藍染(下の紺の革)でしっかりと染まっているのがわかります!
そしてその上に乗っているキャメルと紺の格子状の物が?
これはなんと「藍染による型染め」です!!
染まった連絡をもらいその確認のつもりがまさかの型染め!?

浜さんの奥さんが物は試しと僕が渡していた信州鹿革(キャメルの革)の端切れを使い型染めをしてみたところなんと染まってしまったらしいのです!

これが反物の型染め!
これを初めてみた時には驚きましたね!
これは無理だろうと思っていた物が目の前にあるわけですからそりゃ驚きます。

これが型染めの型
和紙に柿渋を塗って作り上げている物らしく、この写真は相当古い物みたいです。

上の写真は白い生地に防染糊を引いた状態
型は連続して重ねて行くため相当の熟練が必要ですが、実はこの防染糊を作る方が重要で糊を作るのに5年、塗るのに3年の修行がかかると言います。
この糊を引いた生地を壺に何度か漬け込み、糊を洗い流すとその部分だけが青く染まらないので柄が出るといった感じです。

これ!
実際に借りてやってみたんですが💦
なかなかのムラが出来るんです(・_・;そりゃ簡単にはできませんよね

これはNHK長野放送局の松下さん
松下さんを例に上げるのは失礼ですが笑
ゴテゴテなのが分かりますよね?

写真は防染糊を練っている様子ですが、これを作るのが5年ですよ!
実際に浜さんも3個ぐらい作って使うえるのは一個!
他は納得行かずに捨てるみたいです!!

しかもこの糊は革にうまく定着するように少し配合を変えているのでさらに難しいみたいです!
本当に協力していただき感謝です( ; ; )

これを壺の中に入れて行きます

壺から上げて酸素に触れると青く変わって行くんです。
これを3回やるんですが、それ以上やろうとすると糊が取れてきてしまいます。
また厄介なのが、冬場は糊が割れてしまってうまく行かず、夏は暑すぎて糊がダレが起きて出来ません^^;
その為この撮影は真夏の暑い日を待っており、今年は特に夏が長かったので中々染めることが出来ませんでした
そう考えるとこの革はかなり希少な革!!
なんでも手に入る現代でも中々手に入らない貴重なものを作り出してしまいました!笑

3社の思いが詰まったこの革に包丁を入れるのはいつも緊張します!
そしてこの思いを全国、世界の人に見てもらいたいという想いが膨らんでいます!

シンガポールにてライブコマース

実はこの革の商品の一番最初の販売はシンガポール!
日本で言う中居君ぐらいの有名人が日本に来てライブコマースにて販売をしてくれました

会場は松本市山形村のアイシティ21
緑色の彼がシンガポールで活躍中のポンサック
カメラはこれまた松下さん率いるNHK長野放送局!!
密着の最中にライブコマースがあることを伝えると是非取材したいと言って頂き放送になりました!

念願の海外販売がシンガポールだったんです(^○^)
今はネット社会ですので色々な販売の仕方があり、伝統工芸の作家さん達の技術をこの世に残して行くためにもまず重要なのが販売に繋げなくてはいけないんです!ここはお世辞抜きで言いたい!
いくらでもネットで手に入る時代ですが、せっかく買うなら意味のある物やストーリーのあるものに触れてみてほしいと思っております!


僕らの挑戦は続きます!

写真の左が浜染工房の浜完治さん、右下が株式会社メルセン(タンナー)の中川専務、右上が僕グルーバーレザーの徳永

挑戦が始まりようやく仕上がったバッグを確認する姿ですが、僕らは一年以上かけて作品に向かってきました。
僕と中川専務がいつも浜さんの工房に向かうときには逢初橋を渡るんです。
この革の名前を決めなきゃねってなった時に中川専務が「逢初橋の字が良いよね?この字をつけたら?」と言ってくれて付けられたのが「逢初レザー」

3人が集まり作り上げた名前にふさわしい逢初レザー

この作品が今後みんなが知るような革になるようにまだまだ挑戦をして行くつもりです!

NHK長野さんが記事に残してくれておりますので
こちらをクリックして頂きご確認ください!

NBSさんがあんず染めの「杏染革」と「逢初レザー」をYouTubeに残してくれているのでここをクリックして頂きご確認ください!

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